HBOCの女性からのメッセージとして、市民公開講座でAさんはご自身の体験と選択についてお話してくださいました。

  • 40歳代後半に乳がん 
  • 遺伝カウンセリング・遺伝子検査を受けた時期:乳がんの手術前
  • 遺伝子検査の結果:BRCA1病的変異あり
  • リスク低減乳房切除術:実施
  • リスク低減卵管卵巣摘出術:実施
うちはがん家系ではない

私は今から6年半前に47歳で乳がんが見つかり、約半年間の抗がん剤治療後、遺伝カウンセリング、遺伝子検査を受け、BRCA1遺伝子変異陽性と診断されました。その後、乳がんの全摘手術と同時に、対側のリスク低減乳房切除と、リスク低減卵巣卵管切除をしました。このようにお話しすると、最先端の治療を選択する積極的な患者というふうに印象を持たれるかもしれませんが、決してそうではありません。本当にいろいろな偶然が重なり、当初は全く考えてもみなかった決断をすることになったのです。
 私は乳がんが見つかる前、37歳のとき、卵巣嚢腫の手術をした以外は持病もなく健康でした。健康について特に関心が高かったわけではありませんが、卵巣嚢腫の手術をしたことや、中年の女性には乳がんや子宮頸がんが多いからと思って子宮頸がんの検診と卵巣の検診、あと乳がんの検診を年に1度、それぞれ決まったクリニックで受けていました。また、父方の祖母が乳がんだった以外は父方の家系も母方の家系も特にがんになった人を知らなかったので、がんにならない、とまでは思っていなかったけれども、うちの家はがん家系ではないというふうに信じておりました。
 ところが、7年前に私の妹に45歳で乳がんが見つかりました。そのとき医師から父方の祖母が40代で乳がんになっていたので、もしかして家族性乳がんかもしれませんねと言われました。妹から私もそのことを聞いていたので、私もいつか乳がんになるかもしれないなとその時から漠然と思っておりました。そして私の妹の乳がんが見つかってから1年もたたないうちに、右胸だけが生理が終わっても張りが取れないし、あと何か右脇にも何となく違和感があるなと思って、毎年乳がん検診を受けているクリニックを受診しましたら乳がんが見つかりました。右胸に5センチ弱の乳がんがあり、トリプルネガティブでリンパ節転移をしていました。そこのクリニックから紹介状を書いてもらいまして、2011年8月に受診しました。
 その病院を選んだ理由は乳がんの術数が多くて、チーム医療が受けられること。あと通院しやすいこと、それからホスピタリティーが良さそうだったからですが、そのときはその病院で遺伝カウンセリングやHBOCに関する医療をやっているということは全く知りませんでした。

もしかしたらHBOCかもしれない

検査の後、担当医と治療方針を話し合って、すぐに術前化学療法をして、その後、摘出手術をしようということになりました。最初に医師からご家族の方に乳がんの方はいらっしゃいますかと家族歴を聞かれ、すぐに思い出したのは父方の祖母が乳がんというのと、妹が45歳で乳がんということでした。おばあさんは何歳で乳がんになられましたかと聞かれた後、ご家族に卵巣がん、卵管がんの方はいらっしゃいますかと聞かれました。そのころの私は遺伝性乳がんについての知識がなかったので、乳がんは聞かれるのは分かるけれども、何で卵巣がんと卵管がんのことを聞くのだろうと不思議に思っていたんですけれども、それ以上のことはその場では分からなかったので帰宅後に両親に電話をして聞いてみました。

両親に確認したところ、妹が45歳で私と同じトリプルネガティブ、父方の祖母が42歳で乳がん、さらに86歳で対側の乳がん。また父方のおばが55歳で卵管がんということが分かったので、医師にそのことを話すと、あなた方姉妹はもしかしてHBOCかもしれませんねと言われました。そのときHBOCについて初めて説明を受けまして、あとHBOCの説明の小冊子を頂きました。また希望すればHBOCがどういう病気なのか、どのようなリスクがあるのか、もっと詳しく話が聞ける遺伝カウンセリングがあるということや、HBOCの遺伝子検査を受けることができるということを妹と一緒に聞きました。ただ、遺伝子検査を受けてその結果でこれからする抗がん剤治療の方針が変わるわけではないということも言われました。

 もらった小冊子をうちに帰ってじっくり読んでみると、ほとんど自分のことに当てはまっていたので、この時点で私は自分がHBOCである可能性がかなり高いなというふうには思っておりました。もしHBOCであればがんになっていない反対側の胸も乳がんになりやすいことや卵巣がんになる確率も高いということも書いてあったので、将来、卵巣がんやもう一方の胸も乳がんになるかもしれないなというふうに思っておりました。

 医師からはそのとき、一度、遺伝カウンセリングを受けてみてはいかがですかとも言われましたが、そのころの私は忙しかったので、すぐに遺伝カウンセリングを受ける気にはなれず、治療が終わって落ち着いてから時間的な余裕と心の余裕ができたら、暇になったら、遺伝カウンセリングだけは受けてみようと思っていました。

 そのころの私は化学療法を受ける患者の多くの人が思うように、この化学療法が私の乳がんに効くのだろうかとか、副作用は大丈夫なんだろうか、あと仕事をしながら乳がんの治療を続けられるだろうか。そういったことに非常に関心が強くて、HBOCのことまで冷静に考える余裕がありませんでした。なので、ちょっと棚上げをして、心が落ち着いてから受けてもいいかなというふうに思っておりまして、ただ、危険性が高いというふうに書いてあったので、そのリスクだけは知っておきたいなというふうに思っておりました。

リスク低減手術 日本ではいったいどうなっているのだろう?

 約半年間の抗がん剤治療も終わった2012年の3月初め、手術のための検査をするころに医師から再度、遺伝カウンセリングを受けてみてはどうですかと言われたので、全部治療が終わって落ち着いたら受けてみようと思いますと伝えたところ、どうせ受けるなら手術の前に受けてみてはどうですか、どのような手術にするか決める参考になるかもしれませんからと言われました。それを聞いて、いつ受けても同じだから確かにそれもそうだなというふうに思ったので、すぐに遺伝カウンセリングの予約を入れました。ここでこの医師の一言がなかったら、今の私はいないと思っています。この言葉の一押しに本当に感謝しております。

予約をしてから遺伝カウンセリングを受けるまで、約10日間ありました。遺伝カウンセリングのときにきちんと説明を聞いたり、いろいろ質問できるようにHBOCについてもう少し勉強しておこうかなと思いまして、何か私の知らないもっと情報がきっとあるに違いないと思って、うちにあった乳がんの本や病院のライブラリーにあった本をHBOCという視点でもう一度全て読み返してみました。ですが、分厚い乳がんの本にもどれもたった1ページ、HBOCについて書かれているだけで、内容がコピーしたのかと思うほどみんな同じで、最後に治療方法として、日本ではリスク低減手術は一般的でないと決まって書かれていました。本に書いてあることはもう既に私が知っていることばかりの情報だったので、ここで本は頼りにならないと見切りを付けまして、インターネットだったら何か見つけられるのではないかと思って検索をしてみました。

 夜遅くまでネット検索をして、ようやく有効な情報を2つ見つけました。その1つは日本語に翻訳されたNCCNの診療ガイドラインです。診療ガイドラインは患者のために書かれたものではないので専門用語のオンパレードで素人の私にはどこから読んでいいのか、全く分からなかったので、仕方ないので最初から最後まで全部読みました。そこにBRCAに変異がある場合にはリスク低減手術も検討すべきと書いてあるところがあって、それを見つけたときはその資料が何だかきらきらして見えました。診療ガイドラインに書かれているのだから、標準治療のようなものであるはずなのに、それまで見たどの本にも書かれていなくて、なぜここにだけ書かれているのだろうと不思議に思いました。

 もう1つはたまたまヒットしたアメリカのHBOCの女性の手記です。日本語に翻訳されたものだったんですけれども、その手記にはHBOC遺伝子検査をして、こんな治療をして、このようにリスク低減手術をしたということが詳しく書かれていました。これを読んでいましたら、ずっと前2000年ごろにNHKスペシャルという中で「遺伝子治療の現在」という番組で見た映像が突然目の前に浮かんだのです。その番組で紹介されていたアメリカ人女性の話とネットで読んだアメリカ人女性の手記の内容が重なって、私はこの人たちと同じなんだ、これは私のことなんだと気が付いたのです。医師の説明、もらった小冊子、NCCNの診療ガイドライン、ネットで見つけたアメリカ人女性の手記、ずっと昔に見たアメリカのテレビ番組。ばらばらだった情報がつながって一気に全体像が表れたと同時になぜアメリカでは10年も前からリスク低減手術が行われているのに日本では一体どうなっているんだろうと思いました。

 また、家族歴をさらに調べてみると、父親のいとこの4人姉妹のうち2人の人に乳がんが出ていまして、1人は40代で乳がんで亡くなっていますが、もう1人の方は30代で乳がんになって、あと60代で対側の乳がんになったという方が見つかりました。ただ私のいとこではなくて、父のいとこなので、実際に1人の方は会ったこともないし、1人の方は1度だけ小学生時代に会ったということで、ほとんど私にとっては知らないような人なんですけれども調べてみるとそういうことが分かりました。こういう人たちに乳がんが出ているということで、遺伝カウンセリングを受ける前からさらに自分自身がHBOCである確率は高くなったなというふうに感じておりました。

遺伝カウンセリングを受けてみて良かったこと 

 2012年の3月に妹と一緒に遺伝カウンセリングを受けました。カウンセリングはとても和やかなムードでこちらから聞く前に私が聞きたかったことはどんどん話していただける感じでした。実際に私は実は遺伝カウンセリングを受けるまでは全く遺伝子検査を受けようというふうには思っていませんでした。検査を受けて、結果が出て、私に何が残るのだろう。高いお金を払って、あなたはHBOCですという烙印だけ押されても、何だかちょっと割に合わないような気がしていて、検査をして、結果を得ることで自分にどんなメリットがあるのか全く分からなかったです。

 カウンセリングを受けてみて良かったと思えることが3つあります。1つは検査結果がもし陽性の場合、つまりHBOCだった場合、乳がんや卵巣がんのリスク管理のため検診をずっと継続して行い、経過観察で重点的にフォローしてもらえるということ。これを聞いたとき、それまでHBOCの烙印だけ押されて、私は一人取り残されるんじゃないかという不安が非常にあったんですけれども、その言葉を聞いて、私は本当に心底ほっとしました。2つ目は現在、HBOCに有効な抗がん剤も治験中[1]であり、近い将来何らかの有効な治療法が見つかるだろうということを聞いて、その場で私と妹は顔を見合わせていました。それは治療法があるかもしれないと知って、とてもうれしかったからです。3つ目は乳がんや卵巣がんになるリスクを減らす方法として、リスク低減乳房切除やリスク低減卵巣卵管切除の手術がこの病院でもできると聞いて、これにはとても驚きました。おまけに私の場合、3週間後に乳がんの摘出手術をする予定でしたが、リスク低減乳房切除と卵巣卵管切除もできると言われまして、私はその一言で遺伝子検査を受けようと決めました。

というのも、37歳で卵巣嚢腫になったとき、術前検査で卵巣がんのマーカーの値が非常に高くて、内視鏡手術ができなかったんです。そのときに卵巣がんってどんなものだろうというのを一生懸命調べました。卵巣がんは見つかったときには症状が進んでいることが多いことや治療の厳しさを知っていたので、卵巣がんになるのは怖いなと思いました。卵巣がんが非常に怖かったので、卵巣がんになる苦しさがないなら、どうしても卵巣を取りたいというふうに強く思ったので、遺伝子検査を受けようと思いました。

[1] がん化学療法歴のあるBRCA遺伝子変異陽性かつHER2の陰性の手術不能または再発乳がんに対して分子標的薬オラパリブが承認されている(2018年8月現在)

受け取った一番大切なものは将来への希望

 遺伝カウンセリングでは私にとって有望な情報をたくさん受け取ることができました。でも、今、振り返ってみると、そこで受け取った一番大切なものは情報ではなく将来への希望だったと思います。そのころの私にとって一番の贈り物だったと思います。

 遺伝カウンセリングを受けた後、一緒に受けた妹と病院のカフェで2人で医師に言われたことはこうだったよねと確認作業をしました。その時点で妹に私は遺伝子検査受けることに決めたから、と伝えて、翌日、遺伝子検査を受けました。

検査の結果がもし陽性だった場合、リスク低減卵巣卵管切除に加えて、がんになっていない反対側、対側のリスク乳房切除もするか、それとも乳房のほうは経過観察にするのか、検査結果が出るまでの約1週間は非常に悩みました。手術の日程もあってその間にどうするか決める必要がありました。がんになっていない胸を、リスク低減乳房切除をした場合、しなかった場合、数々のメリット、デメリットを紙に書いてみたものの、メリットとデメリットが頭の中でぐるぐる回って、全く決められませんでした。1人で考えることも限界になってきたので、自力で問題解決をするのはあきらめまして、自力がだめなら他力本願ということで、人に頼ることにいたしました。人に話して頭の中を整理しようと思いまして、友人に次から次へ電話しました。友人にはやっと抗がん剤治療も終わったので一緒にご飯でも食べにいかない?と言って、食事に誘い出したり、夜中に電話をしまして、そのときに自分の乳がんのことや、HBOCのこと、HBOCがどういう病気かというのを詳しく説明したりしました。私は遺伝子検査の結果待ちだけれども、多分BRCA1遺伝子変異だと思うと。私は卵巣卵管は取ろうと思っているけれども、がんになっていない乳房は取るかどうか迷っているのということも全部話しました。そして、HBOCについて、友達からいろいろ質問をされたり、それに答えたりを繰り返して、何人かに話を聞いてもらううちに少しずつ自分の気持ちを整理することができました。

結論を出すまでの間に、乳房の同時再建の医師に再建のことや、あとリスク低減乳房切除という選択肢について話をしました。その中で医師から、片方のみの再建は健常なもう一方に合わせなければならないけれども、両方一度に同時再建するなら合わせる必要がないから、仕上がりは断然きれいな胸ができるわよと言われました。そのころの私は「きれい」という感覚が欠落していまして、とりあえず健康に何とか無事に乳がんを治療して元気になりたいという一心だったので、先生のその言葉を聞きまして、世の中にはそういう考えがあるんだとちょっと目からうろこが落ちる感じでした。私の心に最後まで引っかかっていたのは、体の正常に機能しているところ、まだ悪くなっていないところを取るってどうなんだろう。それって倫理に合っているのかなとか、そういうことに割と抵抗感があったんですけれども、この先生の言葉でなんかすっと肩の力が抜けて、私の好きなようにすればいいんだなという倫理とかそういう世の中のこと関係なくて、私の思いどおりで決めていいんだなというふうにすっと肩の力が抜けました。

乳がんが見つかったとき、私はできるだけ再発転移のリスクが減る治療を積極的にしようと思っていました。私にとって一番大切なことは何かをもう一度考えたとき、それは元気に過ごせる時間をできるだけ長くキープしたいということでした。もしリスク低減乳房切除をせず、その後に乳がんが見つかったら、治療にかかる時間や回復にかかる時間がもったいないなと思って、最終的にリスク低減乳房切除をすることに決めました。

HBOC遺伝子検査の結果はBRCA遺伝子変異陽性でした。その検査結果を聞いたとき、やっぱりBRCA1だったかと淡々と思っただけで、特に落胆するとか悲しいという気持ちには全く、そういう気持ちは湧いてこなかったです。むしろ私が乳がんになった原因が、このBRCA遺伝子の異常にあったのだと原因が分かって、妙に納得したというか、すっきりした気分になりました。その後、2012年の4月、乳がんの全摘手術とともに、リスク低減乳房切除及び卵巣卵管切除をいたしました。

Aさんの家族のこと
Aさんのお母さんのこと

私の母はこの遺伝、HBOCには関係ないのですが、母は私の遺伝子検査の結果が陽性であるということを聞いて、いいところは似ないもんだねと言っていました。しばらくして実家に帰ってみると、実家の冷蔵庫に「BRCA1遺伝子異常」と書いたメモがマグネットで留めてありました。高齢なので新しい単語は覚えられないんだなと思っていましたが、その日の夕食のとき、母が「自分が持病で通院している近所の消化器内科のクリニックで医師からいつもお変わりありませんかと聞かれるけれども、週に2回も通っているのでそんなに変わったことなんてないから、娘がBRCA1遺伝子に異常が見つかって、リスク低減手術をしましたと言ったら、先生からそれは何ですかと聞かれたので、私、先生にHBOCについてレクチャーしてきたのよ。先生は今まで知りませんでした、勉強になりましたって言ってたわ」と何事にも好奇心旺盛で前向きな母は自慢げに言っておりました。

Aさんのお父さんのこと

もともとこの遺伝子を持っていると思われるのは父なんですけれども、割と淡々として事実を受け入れるタイプなので、私がHBOCだったということを聞いて「そうか」と言っただけでした。お父さんは乳がんになるかもしれないし、前立腺がんにもなるかもしれないし、すい臓がんにもなるかもしれないから気を付けてねと伝えたら、「そうか、分かった」というその一言だけでした。

Aさんの妹のこと

 私の家系の中で、血縁者向け遺伝子検査を受けたのは、今のところ妹といとこです。55歳で卵管がんになった父方のおばがいますが、おばには息子が2人います。そのうち1人が遺伝子検査を受けました。

 まずは妹の場合。45歳で乳がんが見つかり、都内の総合病院で温存手術後、放射線治療、抗がん剤治療をしました。主治医からは家族性乳がんかもしれないという話はありましたが、HBOCの可能性についての説明は全くありませんでした。妹は私の乳がんの治療方針を決めるときも遺伝カウンセリングのときも一緒に話を聞いていたので、私がBRCA1陽性と分かった後、すぐに遺伝カウンセリング、その後に血縁者向け遺伝子検査を受け、やはりBRCA1遺伝子変異陽性でした。そのころ彼女は不妊治療をしていたこともあり、不妊治療後に私と同じ病院でリスク低減卵巣卵管切除を受けました。

Aさんのいとこのこと

 次に未発症のいとこである卵管がんのおばの息子の場合ですが、私が乳がんの手術で入院しているときに夫婦でお見舞いに来てくれました。そのときに私がHBOCでBRCA1遺伝子に異常があることや、HBOCの危険性を説明して、リスク低減手術もしたことを話しました。そしていとこ自身や彼の20代の2人の娘にもHBOCの可能性があること、HBOCについて詳しく知るために遺伝カウンセリングを受けたり、遺伝子検査ができることも話をしました。しかしまさかいとこの入院のお見舞いに来ていきなり「あなたは2分の1の確率で乳がんや卵巣がんになりやすい遺伝子があります」という話を聞かされるとは思いもよらなかったでしょうし、驚きだけで何が起きたのかよく分からないまま病院から帰って行きました。その後、2週間ぐらいしていとこから電話がありました。その間にいろいろ勉強していたようで、遺伝カウンセリングの申し込みはどうしたらいいの?とか妹は遺伝子検査を受けるのかといったことを聞かれました。しばらくして、メールで遺伝カウンセリングの予約をしたという連絡がありました。私はいとことその家族にHBOCの正しい知識を得るためにも、ぜひ遺伝カウンセリングだけは受けてもらいたいと思っていたので、良かったなと思っていました。その後、妹の遺伝子検査の結果が出たころ、いとこから妹に遺伝子検査の結果について問い合わせの電話があったそうです。妹が「やっぱりBRCA1だった。(いとこは)これからどうするの? 私は姉のカウンセリングに同席していて、話も聞いていたので、自分も遺伝カウンセリングを受け、遺伝子検査を受けたけど、HBOCは新しい分野だから医師にもいろんな考え方の人がいて、私の主治医はHBOCの検査やリスク低減手術には積極的な考えではないの。今後どうするかはまだ検討中」と話したそうです。その後、いとこは遺伝カウンセリングの予約をキャンセルしてしまいました。もともと妻が遺伝カウンセリングや遺伝子検査に消極的で、医師ですらHBOCに関していろいろな見解があり、治療として確立したものでないなら受ける必要はないというのが理由のようでした。

 ここからは私といとこの間で交わしたメールの一部を読みます。

2012年6月 私からいとこへのメール

カウンセリングをキャンセルしたと聞きました。どうしたのですか。娘たちが話を聞きたくないということでしょうか。遺伝子検査を受ける、受けないは別として、後々後悔しないためにもリスクを知っておいたほうが良いと思うのですが、彼女たちがBRCA1遺伝子変異を持っている確率は4分の1あるのだし、もしBRCA1であれば、70歳までに乳がんになる確率、87%、普通の女性の18倍以上も危険度は上がります。卵巣がんになる確率、44%。普通の女性の40倍以上です。彼女たちがこのリスクを認識すれば、きちんと検診にも行くだろうし、そうすれば乳がんを早期発見できる可能性も大きいです。私も妹も乳がん検診を毎年受けていました。セルフチェックもそれなりにやっていました。特に妹に乳がんが見つかってから、私もなるかもと気を付けていました。でもかなり大きくなってから自分で見つけました。普通の乳がんは1センチの大きさになるのに長くかかりますが、一部には短期間で急速に大きくなるタイプもあり、どうやら私はそのタイプだったようです。たらればの話も何ですが、もし私が乳がんになる前にBRCA1であることが分かっていたら、HBOCのリスクを考え、乳がん検診を受ける病院を変え、検診の頻度も上げていたと思います。そうすれば、もっと初期の段階で乳がんを見つけられたかもしれません。さすがにアメリカの女性のようにがんになる前に予防的乳房切除は選ばないと思いますが、卵巣は近い将来切除するといったところでしょうか。確かにHBOCの治療の予防策についてはいろんな考え方があり新しい分野なのでまだ確立したものはありませんが、非常に乳がん、卵巣がんになりやすいという事実はデータで実証済みです。資料を添付しました。

上記メールから3日後 いとこから私たち姉妹へのメール

メールありがとうございます。体験者の意見として大変重く受け止めました。BRCA遺伝子の異常の有無を確認することが娘たちの今後の乳がんに検診に対する真剣度に大きく影響することを再認識しました。近いうちに私は遺伝カウンセリングと遺伝子検査を受けることにします。その結果を受けて、今後どうするかは娘たちと相談するつもりです。妻ともよく話し合いました。彼女が遺伝子検査にネガティブな本当の理由は、娘たちがまだ20代で、これから結婚、出産を経験することになります。もし遺伝子検査の結果が陽性だった場合、結婚や出産をためらいはしないか。つまり母として不憫に思うということなのです。しかしながら、現実から逃れることはご指摘のように、万が一の場合、後悔を残すことになると思います。最終的には娘たちの判断に委ねますが、私の遺伝子については白黒付けます。

2か月後。いとこから私たち姉妹へのメール

今日遺伝カウンセリングを受けにいってきました。とてもいい先生で、丁寧に説明していただきました。検査結果が1か月後に出ますので、また報告します。医学は日進月歩なので、仮に娘たちにBRCA1変異があっても、発症しない治療方法が見つかる可能性も高く、仮にBRCA1変異がない場合でも、新たなHBOCの遺伝子が見つかる可能性もあるので一喜一憂することではないと分かりました。私が陰性であればひとまず安心ですが、ではまた。

3か月後。いとこから私たち姉妹へのメール

水曜日に検査結果を聞きに行ってきました。結果はおかげさまで陰性でした。結果を聞く前から陽性でも注意すれば済むことなので気にしておらず、陰性と分かっても、ああそうですかという感じでした。落ち着いたら、3人でご飯でも食べにいきましょう。ではまた。

さいごに

 最後に、私はたまたまHBOCについての情報に触れる機会や遺伝カウンセリングを受ける機会に恵まれ、とてもラッキーでした。こうして今、思い返してみると、全ての偶然が私に味方してくれたおかげで、ここまでこぎ着けたんだと本当に奇跡のような気がします。病院選びをはじめ、それぞれのポイントで、何か一つでも違う選択をしていたらここにいることはなかったと思います。適切な時期に適切なアドバイスをして、ここまで導いてくれた医師をはじめ、医療関係者の方々にとても感謝しています。そして私の話を根気良く、ふむふむと聞いてくれた家族や友人たちに感謝しています。