話そう、シェアしよう、「乳がん」と「遺伝」

2018年1月20日に第6回日本HBOCコンソーシアム学術総会 市民公開講座が開催されました。

HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)の女性からのメッセージやシンポジウム「Girl’s talk!みんなで考えようHBOC」、さらにシンポジウム+αとして後日インタビューした内容(BさんとCさん)をご紹介します。


Aさん

乳がん(40歳代後半) 
遺伝カウンセリング・遺伝子検査:
 乳がんの手術前に受けた
遺伝子検査の結果:BRCA1
リスク低減乳房切除術・リスク低減卵巣卵管摘出術:実施

Aさんの自己紹介→click me

 

 

Cさん
若年性乳がん
遺伝カウンセリング・遺伝子検査:
 乳がんの手術後に治験で実施
遺伝子検査の結果:変異なし

Cさんの自己紹介 click me

 

Dさん
がんの既往歴なし
遺伝カウンセリング・遺伝子検査:
 30歳のときに受けた
遺伝子検査の結果:BRCA2
リスク低減乳房切除術を実施

Dさんの自己紹介 click me

マーカー部分   をクリックするとシンポジウム後に伺ったお話(+α)に移動します      

目次

自己紹介

Aさんclick me 

Bさん:私は2016年の5月に人間ドックを受けたら、若年性の乳がんだということが分かり、一連の治療を終えて、今、社会復帰をしたというところです。最初の診断をした病院でも、遺伝の可能性があるということと、遺伝子検査があるというような情報は頂いていました。そしてX病院で治療をする前にも遺伝カウンセリングのことも含めて情報が与えられました。でもいまだに検査など受けていないという状況という立場で今日は伺わせていただきました。よろしくお願いします。

Cさん:はじめまして。私も4年前にトリプルネガティブの乳がんを発症しました。若年性で、抗がん剤とかいろいろやりました。私は自分のおばあちゃんだったり、おばさんだったりとかが乳がんだったりしました。私は抗がん剤はやったんですけれど、あまり抗がん剤の治療の成績が良くなくて、抗がん剤をやればやるほどちょっとがんが大きくなってきちゃったところで、自分でネットで調べたときに、この遺伝性乳がんについて知りました。それで主治医の先生に治験で遺伝子の検査をしたいとお願いして最終的にX病院に来ました。私はこの遺伝子のBRCAの変異があったときに効くかもしれないという薬の治験だったんですけれども、結局、私の場合は陰性で、そこで終わったという立場で今日はお話しさせていただけたらと思います。よろしくお願いします。

Dさん:私の場合は皆さんと少し違って、乳がんの歴史としては母が30代半ばで1度目の乳がん、60代になる前、50代の半ばで対側に乳がんが見つかりました。私は母の治療をずっと横で見ていたんですけど、これは遺伝子に何かがあるのではないかという思いがずっとありました。4年前、30歳のときにこちらの遺伝診療部でお話を伺い、そこで遺伝子の検査を受けて、BRCA2が陽性という結果が出ました。そのとき担当した医師に、もう1人どうしても子供が産みたいこと、産んだ後に乳房の予防切除の手術をしたいというお話をしました。2年前、2016年32歳のときにX病院で予防切除の手術を両側して、再建も終わっております。その辺りのことについて、今日はお話しさせていただければと思っています。よろしくお願いいたします。

医療者と遺伝の話をどのようにしたのか

大川(遺伝看護専門看護師):さて、この市民公開講座に先立ちまして、新聞やさまざまなホームページでこの公開講座をご案内したところ、市民の皆さんからもさまざまなメールを頂きました。きょう全てを個別に取り上げることができないのですが、話題を抽出して皆さんとのお話を進めていきたいと思っています。まず医療者と遺伝の話をどんな感じで進めたのかということを聞いていきたいと思います。Cさんは遺伝子検査をきっかけに病院を変えていますが、主治医の先生とどういうやりとりがあったか、お話ししてもらってもいいですか。

Cさん:私は術前に抗がん剤をしました。トリプルネガティブなので、抗がん剤が効く可能性が高いですと言われてそれを糧に頑張っていたら、あまり効かなかったのです。その後すぐ全摘の手術もしたのですが、手術後にこれで治療が終わりですと言われたときに、とてもとてもすごく不安で。これで終わりにしていいのかなという思いがあったので、何としてでももっとほかの治療を受けたいと思いました。若年性の乳がん家系だし、トリプルネガティブだし、自分も若年性ということでもっと治療はないかと藁にもすがる思いでいたところに、インターネットでBRCAの変異があったときに対象になる治験があると知りました。ただ自分が通っている病院ではなくて、違う病院でやっている治験だったのです。治療が終わっていて主治医の先生にもお世話になっている中で、紹介状を書いてくださいということはすごく言いづらかったです。そこは私も一番悩みました。すぐにすんなり言えたわけではなく、何度か押し問答というか、やりとりがありました。「治験を受けたいです」、「そんなことしなくていいよ」というやりとりがあった中で紹介状を書いてもらったという感じです。

大川:遺伝のことも含めて、なかなか先生に理解してもらうのが簡単ではなかったということでしょうか。

Cさん:そうですね。

 

治療中の「遺伝」に関する話 どのように受けとめたのか

大川:医療現場で「遺伝」に関する話があったときに患者さんはそれをどう受け止めたのか、医療者からは見えない部分があります。Bさんは乳がんの診断をした病院でも遺伝のことについてお話があったようですが、治療と向き合う中でどのように遺伝カウンセリングや遺伝子検査のことを咀嚼していったのでしょうか。

Bさん:私は自覚症状が何かあって病気になったというよりも、「はい、あなたきょうから病気です」と言われたようなところがありました。ある日突然病気と言われたので、「治療をしなくちゃいけないんだ」ということがまず現実に目の前に来てしまいました。それから「考えなくちゃいけないんだろうな」ということが突然たくさん出てきて、多分消化し切れなかったんだと思うんです。私は東京の出身なんですけれども、当時は山形のほうで仕事をしていました。結果的には仕事を休んで治療に専念することになりましたが、病院に通ったり何か検査をしたりというスケジュール的な問題とか、治療の費用のことだとか、抗がん剤をすると髪の毛が抜ける、髪の毛が抜けるとなるととりあえず外見を繕うためにウィッグが必要になる、そしてウィッグは結構かなり費用がかかるとか経済的な面。それから自分は若年性で未婚であることを考えると、妊孕性のことも含めてお話を最初に頂いたので、どれだけこの治療期間に費用がかかるのかということも正直、想像がつかなかったです。とりあえず治療の費用がかかるのはしょうがないけれども、後回しにもしできるんだったらと、遺伝についてはそこまで考えが及ばなかったということも正直ありました。せっかく早く分かった病気なので、だったらさっさと治療を進めてしまったほうがいいでしょうねというようなことも、当然主治医の先生方も気にしてくださっていました。そういう意味では術前に考える時間が短くて、遺伝カウンセリングに伺うということもある意味ちょっと不可能だったというようなことはあります。そんなところです。

 

自分にとっての「遺伝」を考えるきっかけになった出来事

Dさん:私の場合は、先ほど母が乳がんに2回なったというのが大きな原因だというところは既にお話ししましたが、私が生まれたとき母は20代後半で、今64歳なんですね。そうすると大体40年ぐらいある中で、母の場合は2回ともホルモン受容体タイプのがんでした。2回とも10年間ホルモンのお薬を飲んでいました。つまり、40年ぐらいの期間の中で20年間、ホルモンの薬とお付き合いをしていることになります。母の1回目の乳がんは私が小学校に入る直前ぐらいでした。突然、温泉やお風呂に一緒に入らなくなった母とか、突然家の中でのベッドに寝ていることが増えた母とか、そういう印象が強かったです。2回目の乳がんの時は、私も社会人で近くに住んでいたことや、父よりも娘である私の方が母としては話しやすかったりもしたということもあったでしょうが、病院にずっと付き添っていました。告知、手術、術後の方針からすべて、放射線治療から抗がん剤治療からすべて付き合って、その中でやはりそのときだけの苦しみももちろんあれば、術後の再発に対する恐怖や苦しみ、薬を飲むことによる副作用、それもすごく長期にわたる副作用、そして例えばちょっと腰を痛めただけでももしかしたらこれは、という思いがどうしてもよぎってくる。そういった母の姿をもう常にずっとそばで見てきたというところがすごく大きかった。ずっとそれを見てきて、何か原因があるんじゃないかというのをずっと思ってきた私としては、「遺伝子」という話を聞いたときにこれはすごく私たちに当てはまるのではないかということをすごく思いました。予防切除をしましたというと、すごく勇気があるねとか、そんな決断よくできたねとかすごくいろいろな方におっしゃっていただくんですけれども、じゃあ遺伝子の話を聞いたときに、すぐ検査しようって思えたか、検査結果がでたときにじゃあ(乳房を)切ろうってすぐに思えたかというと、もちろんそうではない。そのときに今まで過ごしてきた母との関係から体験したいろいろなことを思い返してみたりとか、子どもが生みたかったりとか、仕事もある程度して人生のステージの中で今だったらそういうことができる段階だったりとか、いろいろな運とか。先ほどAさんの話にもあったとおり、人と出会う運だったり、その情報と出会うタイミングという意味での運だったりというところが合致していたとすごく思える。遺伝という話を聞いて、「私そうかもしれない、じゃあ切っちゃえばいいや」とかそういう軽い感じで思えたわけでは決してないです。

Bさん:私はが2人いるので、もし私にBRCAの遺伝子の変異があるということが分かれば彼女たちの乳がんのリスクがどうなのかということを情報として与えてあげられることがメリットにはなるかと思います。けれども、逆にそれが彼女たちの不安を煽ることにもなるなということもあるので、私としては自分がどうなのかなというのは、半分興味本位もありますが、あと半分はやっぱり知ってしまった後の、あなたはもっと病気になりますよというリスクに対して、それを受け止められるかなという自分の精神力との戦いがあるかなというところだと思います。私は家系に乳がんの人、卵巣がんの人というのがいないので、そういった意味では、ご家族の方にがんの経験者がいる方とはちょっとタイプが違うかもしれないので、その辺はちょっとあまり考えていなかったというところが正直なところだと思います。

Cさん:会場にいらっしゃる方の中で今、治療中の方もいらっしゃると思うんですけど、治療中は細々考えない、とにかく治療で1日でも長く生きたいというのが本音でほかのことまで正直考える余裕もあまりありませんでした。とりあえず治療を終えて、また元気になりたいという思いばかりがあったので、正直、遺伝子のことまでそこまで考えが及ばなかったです。でも私が遺伝カウンセリングの部屋の扉を開けて、そこで説明を受けて一番最初に思ったことは、私はずっと病気になって自分をすごく責め続けていたんですね、何でこんな病気になったのかしらという感じで。自分の食生活が悪かったからかなとか、仕事し過ぎたからかなとか、あれだけ飲んだくれてたからしょうがないかなとか、いろいろ思っていたので、遺伝子のこのことを知ったときに、私のせいではなかった、遺伝子の変異なのかもしれないと思ったら、そのときふーってすごく私は気持ちが軽くなって、あ、ここの扉を開けてみて良かったなというのが私の一番の収穫だったと思います。

Aさん:先ほどもお話しさせていただいたのですけれども、やはり私は先に抗がん剤治療をして、その後で手術という順番だったので、割と心に余裕があるというか、がんと分かってすぐ手術ということではなかったので、半年間という時間がありました。私の場合は抗がん剤も非常によく効いて、がんがどんどん小さくなるというのも明らかに目で見て分かったので、割と心も安定してきた段階で、手術の前に先生からもう一度、遺伝性乳がんのカウンセリングを受けたらどうですかというふうに、やっぱりそのタイミングで言っていただいたというのが非常に大きかったのかなと。例えば治療の途中で言われても、やっぱりちょっとそこまで考える余裕とかそういうのがなかなか持てない。余裕を持てればいいとは思うんですけど、やはり私も何回か遺伝カウンセリングを提案していただいていましたが、今思うと心に余裕はなかったのかなと。でも落ち着いたときに言っていただけると、ああ、じゃあやってみようかなというふうに。私も割とそういうきっかけをつくっていただいて、お声かけをしていただいて、「ああじゃあやろうかな」と。やりたいなという心はずっとあったんですけれども、やっぱりなかなかきっかけがないとできないのかなというふうには思います。 

「遺伝」と家族のこと

大川:実は新聞広告等でご質問を募ったときに、割と一番に近いぐらい多かったのが、「私、乳がんです。家族にも乳がんがいます。遺伝カウンセリング、遺伝子検査、行ったほうがいいんでしょうか」というすごく個人的なご質問でした。本当は1人1人によくお話を聞いてお答えをして差し上げるべきところかもしれないんですけれども、やっぱり遺伝に向き合う時期というのは、その人それぞれなので、やっぱり気になったときに、お近くの遺伝について相談できる施設でまずは話を聞いてみる、ご相談されてみてはいかがかと思います。もうひとつ、すごくたくさんあった質問で、これも非常に難しい問題です。遺伝のことなので、娘にどう伝えたらいいのかとか、家族に言わないで検査を受けたり、遺伝カウンセリングに行ったりしていいのかとか、そういうようなご相談が結構寄せられました。これも一言で回答はできないことですが、例えばBさんは遺伝子検査は受けていませんが、その結果が妹さんに関係することをご理解なさっている今の段階で、と例えば妹さんに「遺伝子検査を受けようと思う」とか「遺伝カウンセリングに行こうと思う」とかそういう話はされますか?

Bさん:正直、全くそういう話はしていないです。遺伝カウンセリングのお話も術前にあって、その後はもしかしたら遺伝カウンセリングのお話をしてくださっているのかもしれないんですけれども、私の頭の中にはそれが通り過ぎてしまっていました。遺伝カウンセリングのことを思い出したのは、実はこのシンポジウムに来てみませんかと言っていただいたときなんです、というのが本当に正直なところなので、ごめんなさい、家族と全然遺伝カウンセリングについて話ししていないです。ただ、私が今日こういう場で、こういうことを話しするんだということを家族に伝えたときに、それに対して、そんな自分の病歴を人様の前にさらすようなことをするなんてという反応ではなかったので、行ってくるのね、どうぞ行ってらっしゃいというような感じだったので、また時期を見て、ちょっとある意味落ち着いた時期にはなってきているので、遺伝子検査のことを何かのときには折に触れて見てみようかなとはちょっと思いました。

大川:ほかの皆さん、ご兄弟とかあるいはお子さんとか、もう伝えている方もいらっしゃるし、これから伝えるべき人もいるし、どういうふうなお考えなのか伺ってみてもいいですか。

Dさん:私の場合は、先ほど申し上げた母と最初から一緒に遺伝カウンセリングにお伺いして、お話を聞いて、結果も一緒に受け取ったんですね。母は申し上げたとおり2回目の乳がんを経験していて、それでももう結構明るくタフに自分の好きなことに邁進して、気付けば北海道にいたり、気付けば九州にいたり、すごくパワフルな人間なんですね。ただ、すごく記憶に、印象に残っているのが、やはり遺伝子検査の結果を受け取ったとき、私はどちらかというと「あ、できることがあった。」と心はもう次の段階に進んでいたので、それほど結果に左右されることはなかったんですけれども、横に座っていた母が皆さんが退出されたときに、ごめんねって一言私に言ってきたのがすごくやっぱり印象的でした。「遺伝子検査を受けることで母にそういう思いを与えてしまったんだ、自分は自分のことを考えて遺伝子検査をしたけれども、こういう心理的な影響が母にはあったんだ」というのをすごく感じて。何だか私も申し訳ない気持ちになってしまう、何かふたを開けてしまったことに対する申し訳なさというのが少しありました。ただそれから予防切除をして、それぐらいまでは母もごめんね、ごめんねという感じでちょっといろいろとかいがいしく来てくれて、どこにも旅行にも行かず、かいがいしく洗濯をしてくれて、面倒見てくれたんですけれども、私の再建の話をとおして母は前向きになってくれました。母が1回目の乳がんの手術をしたときは何十年も前で、母は若かったのもあって、やはり手術をしたことがすごくショックでいろいろそのときにあった再建を試してみたりしたんですけれども、放射線をあてたことでちょっと皮膚の伸びが悪かったりとか、再建の手術も今よりも負担の大きいものだったりして、再建でも結構苦しい思いをしていました。今でもかなり大きい傷が残ってしまっているんですけれども、私の再建の話を一緒に医師のところに聞きに行ったときに、きれいな胸になるわよ、大きさだって大きくしていいのよみたいな前向きな話を聞いたときに母は一言はっきりといいわねって。私も若いころだったらそうしたわと、再建を通して、すごく母も前向きになってくれて、良かったわねという感じで、最後は元の母に戻りました。今はもう元の母に戻っていろんなところに行って今も今日は北海道にいます。今は楽しく過ごしてくれていて良かったんですけれども、やっぱり最初はその情報をかみ砕いて消化するまではかなり落ち込んでいる時期があったかなと思います。実は母方の叔父が医者なんです。叔父のところに電話をして、こういう結果が出たという話を電話でして、きっと医療関係者だし、何か冷静に受け止めてくれて、前向きに話が進むかなと思って。実際、話もすごく冷静には聞いてくれたけれども、やはり、やはりというか、思っていたのとは逆で、検査に関してはどちらかというと後ろ向きでした。今思ってみれば、叔父のところには女の子のいとこがいて、まだ私よりもかなり年が下で、まだ結婚もしていなく、人生これからというところでその難しい決断があったんだとは思うんです。そこですごく個人個人でやっぱりタイミングというのがあって、検査をするタイミングというのがあるんだなというのを私も思い知らされて。その後はもう知らせるだけは知らせたので、私からはもうそれ以上は何も言っていないんですけれども、そちらのほうはどうなったか、ちょっと分からないというところです。

Cさん:私は治療の話をそもそもあまり家族にはしていませんでした。どうせ言っても心配されるだけなので、こつこつ自分で消化して、親にはいつも事後報告で。でも遠くに離れているんですけれども、私が治療中は東京にしょっちゅう来ていたので、一緒に抗がん剤治療はついてきてくれたりはしていました。けれども自分がトリプルネガティブだとか、実は抗がん剤効いてないとか詳しい話はしていなくて。でも初めて遺伝子の検査をするときに、一応言ったほうがいいかなと思って、母親とあとお姉ちゃんがいるんですけれども、2人に話したんです。今まで話してなかったんですけれども、実は意外と2人とも私の病気のことを知ってました。2人ともよく勉強していて。うちの親は割と新しいことが大好きなので、じゃあやれることがあるなら検査してみて、そのとき陰性だったらまたそのとき考えようみたいな感じで、割とすんなりというか。そのときに初めてちょっと病気のことについて家族で話すきっかけになったかなという感じです。

大川:そもそも遺伝のことじゃなくて、がんのことをシェアするって結構大変ですよね。それはよく私たちが出会う方たちのご様子からそう感じます。Aさんはさっきお話ししていただきましたけれども、もう1人のいとこの方について差し障りなければ教えていただけませんか。

Aさん:先ほどお話しさせていただいた卵管がんのおばには2人の息子がいまして、弟のほうは東京に住んでいて、割と親しく1年に1回ぐらいは一緒に飲みにいこうかという付き合いがあり、定期的に会っているというような仲だったので、私も妹も割と突っ込んで彼にはいろんなことを言ってましたり。彼が1度遺伝カウンセリングをキャンセルしたときも、そんなんじゃだめだみたいなことを私と妹が共謀して、二人それぞれ違う観点からの意見を言わなきゃとか同じことを攻めちゃいけないよねという感じでメールや電話で彼に関わることができたのもの、それまでの人間関係とか、そういう交流があるという大前提があったからです。もう1人のいとこの兄のほうには弟であるそのいとこから遺伝のことを言ってもらいました。兄のところには息子と娘がいます。そのあとに会ったときに「お兄さん、どうだった?」と聞いたら、「いろいろ説明しだんだけれどもあまり反応がなかった」という感じのことを言われて。私も何年かに1回ぐらいの会う程度で、例えば法事とかお葬式とかそういうことで会うぐらいなので、そういう場面で、「どう?」っていうふうにはなかなか言いづらいです。なので直接私は言っていないです。

 

メッセージ

Dさん:先ほどアンジェリーナ・ジョリーさんの言葉でもあったかとは思うんですけれども、知るということを恐れるというのはすごく簡単なことだとは思うんです。けれども、それで恐れていてはやっぱりいつまでもいつまでも怖いままで終わってしまうと思うんです。知るって一歩踏み出すということだと思うんですけれども、知ると武器がすごく増えるし、どうやってそれに挑戦していって、前に進んでいこうかということにつながっていくかと思うので、私はすごく知って良かったと思いますし、自分がした決断に対して全く後悔はなく、今のところは来れています。10年後、20年後どういうふうに自分が思うかというのは分からないですけれども、そのときにいろんな先生方にお会いできて、いろんなお話を聞けて、それを知れたということがすごく良かったので、ぜひどうしようかなと思っていらっしゃる方もいらっしゃると思うんですけれども、これを機会に知るということはどうなのかなということを一つ考えていただいて。でも知らないということもそれはそれで大事かなと、そこで知らないというふうに決めるのであれば、それが正解なんだと思うんですけれども、知ってみようかなと思うということが大事かなと思います。

Bさん:ある日、突然病気と言われて、目の前がまっすぐ行くなと思っていたところが急に閉ざされてしまうということが、ある日、突然起こったわけなので、それを消化するには多分時間が必要だったと思うんです。でもそれを助けてくれたのはやはり周りの人たちで、周りの先生方だったり、家族だったり、友人だったり、そういう人たちのおかげで今ここにいられるというのは本当にありがたいことだなと思っています。ただ、でもやっぱり私は私の人生なので、私はどうしたいかというのは自分が決めなくちゃいけないんだなというようなことをこの治療を進めていくという中で一番学ばせていただいたところでは良かったかなと思っています。なので、検査を受けていない立場の私、そういう立場ですけれども、もしもまだ迷われている方とか、これから治療に向き合わなくちゃいけないというようないろんな選択肢がある中で、ちょっと今、立ち止まっているという方がもしいらっしゃったら、あなたがどうしたいかですよということをお伝えできるんじゃないかなというふうには思いました。

一方で私は今まで病院に仕事をしにいく側の人間だったので、患者さんになることは本当に初めてだったので、そういった意味ではとてもいい勉強だったなというふうには思っています。治療にこれからかかる方、ぜひ一緒に頑張っていきたいと思っていますので、頑張ってください。

Cさん:私が遺伝子の検査を受けたのはもう3年も前で、そのときは治験でした。そのころまだ治験の段階だったのに、今、それが卵巣がんに使えるというニュースを見て、すごい進化していると思ってとても私は明るい気持ちになりました。そういうふうにすごく治療もいろいろ進化しているんだなということが、すごく私はうれしかったのと、もう1つは治療の選択肢をたくさん知るというのは、自分が病気になる前に自分がいろんなものを選んでいたのと同じように、自分らしくその後生きていけるきっかけになると思うんです。もちろん私も治療中はすごくいろんなことを知ろうというよりは、目の前にあることをただただやるという感じだったんですけれども、いろんな治療法があるということを知ったりとか、こういう遺伝子のこういうのがあるというのを知るということは、本当に自分の生活が、自分の思うような生活を選べるということですごく大きいと思うので、すごく勉強になったなというふうに思います。きょうはありがとうございました。

Aさん:私は先ほどお話しして聞いていただいたように、乳房も卵巣も卵管もリスク低減手術をして、自分の選択に今は非常に満足しているんですけれども、皆さんのそれぞれの考えもありますし、その時々で、いろいろ状況も変わってくるので同じ人の中でも選択は変化してくると思います。遺伝子検査をしないのか、するならどの時期にするのかなど悩むことはたくさんあると思うんですけれども、私から一言言わせていただくんでしたら、不安に思っているのであれば、遺伝カウンセリングだけは受けたほうがいいかと思います。何もそこで損することはないので。私が受けた感想として、もちろんいろんな知識や情報が入ってくるというのもあるし、あと知識だけじゃなくて安心感とか。やっぱり不安な気持ちというのが誰しもあるかと思うんですけれども、カウンセリングを受けたからといって不安が払拭されるわけではないけど、不安が軽くなるので迷っている方はカウンセリングだけは受けてみるといいと思います。遺伝子検査はいろいろなことが付随するので全てのみなさんにお勧めできるわけではないですけれども、遺伝カウンセリングを受けるのは私の中ではお勧めです。

 

大川:本日はたくさんの方に足をお運びいただき、本当にありがとうございました。ご質問もたくさん本当にお寄せいただいているんですね。それに全てお答えできたかどうか分かりませんし、まだまだ質問や不安があると思うんですが、それはもしかしたら皆様の周りにいる主治医の方や医療関係者の方に相談できることもあるかと思いますので、勇気を出して、一言声を掛けていただければと思います。本日は第6回日本HBOCコンソーシアム学術総会、市民公開講座「話そう、シェアしよう、「乳がん」と「遺伝」」にご来場いただきまして、まことにありがとうございます。きょう皆様とシェアできた内容を、ぜひあしたからの一歩につなげていただければ幸いです。

 これで市民公開講座を終了といたします。たくさんのご来場をいただき、まことにありがとうございました。

シンポジウム+α BさんとCさんに後日伺ったこと

+α Bさんに後日伺ったこと

「遺伝子検査」という選択肢を提示されたときのこと
Bさん
: 20XX年の6月ですね。私、〇〇病院で初めて人間ドックを受けて、そこで引っ掛かったので。そのままそこの乳腺外科を担当してる先生のところに診察に行ったんです。診察に行って、すぐもう細胞診とか超音波だとかちゃんとして、その次のときの外来で「がんです」っていうことがはっきり分かりました。私は自分が医療者で、妹も医療者なので妹を連れていきました。「もう先生、ざっくばらんにいきましょう。受け入れる準備はできてますから」というような話をしていたときに、その情報の中でトリプルネガティブだし若年だしっていうところで、遺伝子変異の可能性があるから、遺伝子検査もあるから受けてみてもいいんじゃないかっていうような提案をいただいたんです。


遺伝子検査を受けることのメリット・デメリット
Bさん:遺伝子検査を受けることのメリット、デメリットは何ですかって先生に聞いたときに、治療方針の選択ができますと。今、部分切除が提示されていますが、遺伝子変異があると再発のリスクがそれだけ高いので、全摘が選べますよっていうところが違いますっていう話がありました。あと妹たちもいることを考えると調べておいてもいいはいいんじゃないかっていう反面、やはり不確実性が高いというと、言葉として怒られるかもしれないんですけど、検出限界以下だった場合には完全に白ではない。そういう意味で、まだはっきりしないっていう結果が出る可能性もあるというような話を聴きました。費用とその不確実性を天秤にかけたとき、また知ったときに選択肢として自分が部分切除か全摘かっていうようなことを選択っていうことになったときに、腫瘍径が1センチ以下、あっても1センチちょっとぐらいだったので、いずれにしても部分切除で今はいい、全部取っちゃうのはもったいないって言うと変なんですけど、そこまでしなくてもいいんじゃないのっていうお話でもあったんです。それであれば、遺伝子検査を受けた結果、治療方針にはある意味影響しないかなっていうことになったので。じゃあ、いいよね、まだいいよねっていうところはありました。もし例えば腫瘍径が大きくて、非部分切除か全摘か、もう結構ぎりぎりのところですよと言われていたとしたら、選択肢は変わってきてたと思います。やはりそれで、そういうリスクがあるかもしれなくて、特に若年のトリプルネガティブっていうところでリスク高いですよと言われて、それが治療方針の決定に結構左右はしますっていうことであれば、たぶん遺伝子検査を受けてたと思います。

「遺伝子検査」の費用
Bさん:〇〇病院では遺伝子検査を受けることはできなくて、もしその検査をするんだったら、本院まで行かなくちゃいけないというようなことも、確かちらっと言われたんですけど。うーん、本院までで行くのはちょっと遠いよねっていうのはありました。あと費用がやっぱりそのときは20~30万はするっていうのも聞いて。その先生は女医さんだったのですが、先生だったらどうしますかって聞いたら、先生は「やっぱり自分の治療に対しても幅が広がるから、検査を受けようと思うけど」っていうこともおっしゃってくださったんです。だけど変な話、不確実性もある。費用が、単純に額面だけ見るとやっぱり10何万、20万っていうのは、これからどれだけ治療費がかかるのかなということを思ったときに、ちょっと不安材料になるものの1つでもあった。自分が大学院のときに動物実験ですけど遺伝子の抽出をしたことがあったんです。それにかかる試薬が高いことを知っていたので、そこから思うと、その遺伝子検査の費用が高いことには納得がいきました。腫瘍径も非常に小さくて当時実施していた治験にも該当しないと分かったので、「じゃあ、遺伝子検査はいいです」みたいになりました。

遺伝子検査の結果を受け入れられるか?
Bさん:別に私は何か特定の宗教を応援してるとか、信仰してるとか全くないんですけど、何かその遺伝子に関わるところとか、人の生き死に関わるところっていうのは、人の手の及ばないところ。何て言ったらいいかしら、目に見えない、人の手が触れてはいけないところの分野っていうのもあるのかなって。それは単なる私の感覚なんですけど、そういうふうに思うところもあったりするんです。果たして、遺伝子検査を受けて、その情報を得たときに、それを自分たちが受け入れるかっていうことも含めてできるかなっていう覚悟というんですかね。何かそういうのがまだまだないな、自分にはまだないなっていうのとか。そういうところから積極的に遺伝子検査を受けようとはなりませんでした。今提示していただいた一連の検査だとか、標準治療だとかをきちんとクリアしていくことで、進んでいこうかなっていうところに至ったかなと思います。

遺伝子検査は今は「まだ」しない
今、遺伝子検査を受けますかって聞かれたら、まだしないと思います。「まだ」というのはやはり受け入れる状況が、いろんな状況が整ってないからだって思うんです。それは自分の気持ちの問題。遺伝に対する知識が自分にはまだその当時のまま、アップデート全然されてないっていうのも当然ありますし、今のところそれでたぶんまだ問題がないから。そして、自分が結果を聞いたときに、もし変異があれば、変異があるっていうことを受け入れられるかとか。あとはそれで発生してくる妹たちや姪への影響をちゃんと受け入れられるだけのサポート体制。自分の状況だったり、そういうときに話を聞いてくださる環境。私は先生たちっていうサポートはあるけれども、まだいいかなって。そういった、そのサポート体制がいろいろ整ったり、自分が本当に治療のために必要いうことがあるときまで、まだちょっといいかな。

遺伝子検査の話を一緒に聴いていた妹さんの様子
Bさん:特別に遺伝子検査のことを深く話をしたってことは特にないんですが、ただ私が受けることでのメリットとしては、彼女たちにリスクがあるか、ないかっていうようなことが知れますよ、将来予測になるよっていうような話とかもあったんですけど「まだいっか」みたいな気持ちでした。

 

 

+α Cさんに後日伺ったこと

若年性の乳がん家系
Cさん
:まずおばあちゃんが乳がんでした。40代とかで割と若かったと思うんです。親は違うんですけど、いとことかみんな若年性のがんだったので、何かあるのかなっていう感じで。治療が終わった後に初めて(家系内の乳がんに関する情報を)調べました。治験の中に割と遺伝性っていうのがあったので、それで(家族のがんについて)調べたような気がします。

「治験を受けたい」
Cさん:「治験を受けたいんで紹介状を書いてください」って言ったら、なんとなく微妙な感じだったんです。結構明確に言葉を発する先生だったのに、忘れたふりを毎回されたんです。ただ私抗がん剤やったのに、確か抗がん剤が全然効かなくて治療が終わっちゃったんでそれで治験を探してたのもあったんです。なんとなく、そうですね、なんか嫌がってるような先生の感じがあったかと思います。それで何度かしつこく言ったような気がします。言葉遣いとか、どうやって言おうかっていうのをものすごく考えて。やっぱり治験になるとどうしても転院しなきゃいけなくなるので、せっかく診てもらってたのに申し訳ないなという気持ちがありつつ最終的にはもう無理やりというか。(治験を受けたいと思ったのは)私はやっぱり藁にもすがる思いだった気がするんです、治験を探してた時は。抗がん剤も効かないし、トリプルネガティブなんでホルモンも使えないし。なんかもう、再発を待つのみみたいなイメージだったので、何でもいいから治療を受けたいっていう気持ちがすごく強かったんで。どうだったんだろうな? だから、(治験に)すごく期待してる感じはあったかなと思います。

「私のせいではなかった」「遺伝子の変異なのかもしれない」
Cさん:(がんになったのは)自分の生活習慣とか、何かそういうことのせいなのかなと思ってたので。すごく申し訳ない気持ちが多かったんで「遺伝子」ってなった時に、あ、仕方がなかった、っていうか、そういう運命だったのね、みたいな感じで、ちょっと遺伝子のせいにできるような感覚があったかなと思います。

遺伝子検査の結果は「陰性」
Cさん:どっちに転んでもベストじゃないなっていう感じがあったので、まあ、そんなもんかって。どちらかというとうれしいこともないし、がっくりするってこともないし。ただ、治験に入れないってのはどうだったのかな? でも、入れたら入れたで「すごい悪いがん」みたいなイメージがあったのでどっちに転んでもあまりうれしくないみたいな感覚だった。どっちに転んでも微妙だけど、でもなんとなくトリプルネガティブってそれ以外みたいな区分けな感じがしてて。原因不明感がすごい恐ろしかった。(遺伝子検査の結果「陰性」であったことにより)やっぱり原因不明なんだみたいな、ちょっとそういう残念さはあった気がします。